オーストラリアのメルボルンでは世界的に見てかなり厳しいロックダウン政策が実施されてきた。現在感染者数が減っているので規制が徐々に緩和されるであろうが、人々の権利とは何か、「生きる」ということはどういうことなのか、いろいろ考えさせられる。そんなことを思いつくままに書くことにする。
日本ではいよいよ新型コロナウイルスの蔓延に対処して緊急事態宣言が首都圏などを中心に出された。オーストラリアでは3月23日から全土でさまざまな活動が制限され、各種事業の営業が禁止(shutdown)されている。これに関連付けて思いつくままに書くことにする。
日本人は「和」を考える場合に丸い「輪」のイメージをかけていることが多いように思う。しかし、「和」と「輪」は本来別物である。みんなが一つの輪に収まっていなくても調和は取れるはずである。令和の時代の「和」とはどんなものか、わたしの思うところを記した。
個人のイニシアチブ · 11月 25日, 2019年
「Think globally, act locally (グローバルに考え、地元で行動)」と言われる。環境問題などを語るときに使われる標語である。これは私たちの意識が「集団」から「個人」へ移行していることの現われであると思う。社会問題の解決は‶上から〟つまり国連や政府から始まるのではなく、市民一人ひとりの意識の転換から始まり、わたしたちがそれぞれ自分の直接かかわる場面から変革を始めるのである。個人の行動から文化が変わり、それが政治や経済に反映するのである。
参議院選挙が終わった。参議院は「良識の府」といわれるが、選挙制度は衆参両院とも「選挙区」に「比例代表制」を加味したもので、主な政党の議席数の割合も、行われる議論の内容も、両院でそれほどの違いはない。どのようにしたら参議院が独自性を発揮し、政党政治にとらわれないで議論を深める場として機能するようになるだろうか。今回のブログは「社会三分節論」には直接つながらないが、政治学に素人の私が思いついたことを書いてみよう。
オーストラリア事情 · 5月 25日, 2019年
去る5月18日にオーストラリアで総選挙が行われた。6年間政権を担当してきた自由党・国民党の保守連合に代わって、過去3年間世論調査でずっと優位に立っていた労働党の勝利を誰も疑わなかったが、蓋を開けてみると保守連合の完勝だった。都市部では、保守連合の気候変動への対策に対する不信任選挙だと位置付けられていた今回の選挙だが、地方では雇用を創出する新しい炭鉱の開発が支持された。アメリカやイギリスに続いてオーストラリアでも妥協点が見つからないほど国民意識が分断されているのだろうか。
新しい元号も「令和」に決まり、新天皇の即位の日が近づいている。政治・経済・文化を担う組織を分立させるという社会三分節の考え方から「日本国の象徴」、「国民統合の象徴」とは何であるか考える。なお、現在マーティン・ラージ著『三分節共栄社会—自由・平等・互恵・持続可能性を実現する—』のPOD出版の準備中なので、乞う ご期待!
ルクセンブルク政府は2020年3月から国内のバス・市電・鉄道の交通機関を万人に対してすべて無料にするという。福祉政策というわけではない。交通機関の無料化によって都市に乗り入れるクルマの量を減らし、環境汚染や混雑などの都市問題を解決するという試みだが、はたしてうまくゆくだろうか? あるべき料金とは?
アイデンティティー・ポリティクス · 2月 25日, 2019年
アイデンティティ・ポリティクスは社会的に抑圧されている集団を代弁し、その差別を是正するために生まれたが、そこでは自分の生来のアイデンティティが何であるかによって、何を発言してよいか、何を行ってよいかが決まっているように見える。さらに昨今、個人の内面の主観的な感情を事実よりも優先する傾向が顕著になっている。これは近代社会の大原則に背くものだと主張する、イギリスの政治家・著述家、ダニエル・ハナンの考えを紹介し、そのあとで、ちょっと背伸びして、日韓問題に簡単に触れたいと思う。
オーストラリアではEarthsharing Australiaという非営利組織が、地主・銀行家・自然独占が現代社会に及ぼす影響についてコモンズの視点から探るラジオ番組を放送している。2018年12月19日のこの一年の「総集編」では4月11日放送分のギャリー・フロメンホフト氏とのインタビューの一部を再放送した。フロメンホフト氏は現代の経済体制を変革しようとするニューエコノミー運動の潮流を概観し、ポランニーを引き合いに出して、土地・資本・労働の取り扱いがキーポイントであると言っている。今回のブログは、氏が番組で述べた内容をかいつまんで紹介する。