【マイクロクレジットとは】
ムハマド・ユヌス氏は、バングラデシュの大学で経済学修士号を取得した後、1969年にアメリカの大学で博士号を取り、その後バングラデシュに戻ってチッタゴン大学経済学部で教鞭をとっていました。大学は貧しい農村に囲まれており、自分の教えている経済学の理論が貧しい人々の生活向上には何の役にも立たないことを痛切に感じていたといいます。貧しい人々は、お金を借りることさえできれば、それを元手に栽培する作物を増やしたり商売を始めるなど、自分の家族の生活を改善することができるのですが、担保になる土地も資産も持ち合わせていない貧民にカネを貸す銀行はありませんでした。ユヌス氏は役立たずの経済学者であってはいけないと考え、自分の財布から、これらの人々が必要としていたほんの少額(マイクロクレジット)を低利子で貸し付けることにしました。貧しい人々が借りられるのは法外な利子を要求する高利貸し以外にはなかったので、次第に多くの人々、特に女性がユヌス氏のところへお金を借りに来るようになりました。
普通の銀行家は、担保がない貧乏人は信用力に欠け、借金が返済されることはない言いますが、ユヌス氏によればそんなことは全くありません。ユヌス氏はこう言います。「銀行家たちに人を判断して、信用力に欠けるなどと結論付ける権利があるのか。それより、人々が銀行家のほうを人間力に欠けると判断するべきなのではないか。」 銀行業界自体が人々と全くかかわりを持たない制度でることが許されているのです。マイクロクレジットを計画するのはごく簡単で、通常の金融業のあり方の逆をやればよい、とユヌス氏は言います。普通の銀行は金持ち目当て、グラミン銀行は貧しい人目当て。普通の銀行は男に金を貸すが、グラミン銀行は女に金を貸す。普通の銀行は都市に行くが、グラミン銀行は農村に行く。普通の銀行は土地や財産を担保にして金を貸すが、グラミン銀行は人間同士の信頼関係に基づいて金を貸す。金貸しが人々を信頼するので、人々も金貸しを信頼する、というわけです。契約書もいらなければ、法律家もいらないのです。
【ソーシャルビジネスとは】
普通のやり方の逆を行くというのは無謀のように思えるかもしれませんが、そもそも問題を起こした思考法では解決法が見つからないものです。目的地に到達するには道が必要ですが、別の目的地に行くためには別の道を歩む必要があります。グラミン銀行は900万人の女性に少額資金を融資してきました。また、このマイクロクレジットはこれらの家族の家計を改善しただけでなく、教育や医療、環境の問題にも解決方法を与えてきました。一般に人はカネをもうけるために事業や商いを始めますが、ユヌス氏は社会問題に直面するたびにそれを解決するための事業を考案するといいます。
社会問題を解決するためには、それにふさわしい組織にお金を寄付することもできます。それも良いのですが、〝お金を恵んでやる〟慈善ではできることに限界があります。お金を寄付すると、そのお金は出て行って良いことを行いますが、それっきり戻ってきません。一回限りの〝命〟なのです。ところが寄付する代わりに、そのお金で何とか同じ結果が出る事業・ビジネスを考案すると、お金は出て行って良いことを行った後、ビジネスのもうけとしてお金が戻ってくるのです。これはとても強力です。社会的事業・ソーシャルビジネスのお金は不死身なのです。お金が社会のために働き続けるわけです。
ビジネスにはお金もうけのビジネスと問題解決のためのビジネスがあります。人間は当然利己的なところもあるし、無私無欲な面もありますが、それなら、私腹を肥やすのでなく、社会問題を解決するための事業を作ろうではありませんか。社会問題を解決するのは政府の役目だ、などと思っていませんか? 人は誰でも起業家精神を持ち合わせています。私たちはみな一人一人無限の創造の力を持っています。仕事を探すのではなく、仕事を作ることができるのです。失業者が5人いるとしたら、金もうけのためでなく、この5人をビジネスに吸い上げて従業員全員に賃金を払いながら事業を続けるために必要なだけの利益を上げる、そういうビジネスを創るのです。10分ほど考えるだけで原案ができるはずです。
【起業家精神】
グラミン銀行から融資を受けた家庭はすべてその子供たちを学校に通わせます。高等教育まで進学する子供も出てきますが、中には教育を受けても就職できない若者たちもいます。仕事探しをするのですが、適当なものが見つからないのです。そんな若者たちにユヌス氏はこう言います。「仕事を探すなんてことを誰から聞いたんだ?〝就職〟なんて時代遅れの考えだ。〝就職しよう〟なんて考えるからダメなんだ。考え方を変えなきゃいけない。仕事探しをするんじゃなくて仕事づくりをするんだ。人類が地上にあらわれたとき、求人への応募書類を持参したわけではないだろう。必要に駆られて、狩猟もし、植物の採集もし、槍や網などの道具を作り、農業を始めた。人間は誰でも起業家としての才能を持っている。自分のコミュニティに何が必要か考えて行動するのだ。君たちのお母さんはみなそうやった。自分で新しいビジネスを考え付いて、そのために30ドル、40ドルの資金が必要だと言ってきた。私たちがビジネスの経営について教えたわけではない。お母さん方はその資金を使って、一回だけではなく、毎年ビジネスを成長させたんだ。ここまで君たちを育ててくれたお母さんに尋ねて勉強して来い! 」 現在ではユヌス氏の周りに毎月1000人以上の若者たちが新しいビジネスのアイデアを持ち寄ります。このようにして社会的事業・ソーシャルビジネスを通じて社会の改善を進めているのです。
【資本と人間精神】
ルドルフ・シュタイナーは『シュタイナー経済学講座』の第4講で、経済活動における資本の役割について、次のように述べます。(私による意訳です。)「馬車を発明した人はそれを使って新たな富を創造するが、その富は、その後、ほかの人に渡されなければならない。例えばある鍛冶屋は鍛冶屋としての能力を持っているが、資金がないため仕事を何も始めることができない。誰かすでに富を創造した人がその富を鍛冶屋に譲渡するのだ。」 さらに、「お金(貨幣)は宗教的・倫理的な意味では〝悪〟になることがあるが、経済を有機的に見ると、お金は経済活動の中で作用する〝人間の精神〟に他ならない。人間精神の成果が経済プロセスのなかで還元されるように〝形〟をとった結果がお金(貨幣)である。貨幣は〝実体化された精神〟なのだ。
現在の金融資本主義は社会の諸悪の根源になってしまったようですが、〝資本〟や〝資本家〟自体が悪いわけではありません。悪いのは経済が利己主義に陥ってしまったことです。利他主義的な資本主義に変える必要があるわけですが、それはつまり経済は「自分のためにカネもうけする」ことじゃなくて「お互いに豊かになる」ことだと、発想を転換することです。自由経済から友愛・互恵経済への転換です。
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