マーテイン・ラージ著、林寧志訳 © 2019 Yasushi Hayashi
『三分節共栄社会―自由・平等・互恵・持続可能性を実現する―』9の1
第九章 市民のベーシックインカム: 社会的包摂および全ての人の共栄
誰が何を手に入れるか?
資料:ケン・スプレーグ著『労働の実り』
この章では社会的包摂・安定確保・共栄をもたらす市民のベーシックインカムについて論じます。社会的包摂や富の再分配を実現することは可能なことです。ベーシックインカムは長期的不景気の際に国民に公平な援助を与えるのに有効な手段です。またベーシックインカムを導入すると失業中の若者たちはコミュニティ・サービス、雇用、教育、職業訓練などに就くことができるようになります。アンドルー・グリンが「狂奔する資本主義」の壊滅的な影響を分析した際、北欧社会民主主義の福祉国家がグローバリゼーションと自由市場イデオロギーの中で生き残るためにはベーシックインカムを導入してますます平等を保障するのが一つの方策となるだろうと示唆しています。
イギリスでは不況による失業率の悪化と銀行家のボーナスの上昇に見られる不平等が現在のベーシックインカムについての論議の引き金になっています。政界エリートたちは議員経費の請求に忙しく、政府の責任を追及したり、市場の影響を排除する医療や公共利益を確保する制度の立法化などの仕事をそっちのけにしている背景があります。国会議員の多くは倫理感覚を持って経費を請求しますが、そうでない議員も多いようです。
政府や大企業が好む新自由主義の考え方によると、人間の労働は、金を払えば自分のものにできる融通の利く商品です。けれども、このような視点は低所得者の社会難民化や人間的不幸をもたらします。人間を生産過程の中で省いても困らない単なる要因として扱うと、アイデンティティ・人格・価値・技能・感情・人間関係を失ってしまいます。仕事は人間の尊厳のために重要なものです。労働者が労働組合運動を発展させてきた動機の一つは、労働者が常に〝手〟として扱われたり〝頭〟として扱われたりして人格を無視されてきた事実です。権利や安定した雇用条件、最低賃金、年金などが労働組合運動によって勝ち取られ、法制化され、賃金奴隷の最悪の側面が克服されてきたのです。
けれども、働く権利を苦労して獲得しても、それを継続して維持するためには警戒し続けなければなりません。イギリス政府は優遇税制措置、低賃金、労働者の権利の弱さなどを使って外国企業を誘致しています。二〇〇九年二月には、破産して税金から多額の救済措置を受けたロイヤル・バンク・オブ・スコットランドが七億七千五百万ポンドのボーナスを経営陣に支給する一方で、BMWオックスフォード社は八百五十人の派遣労働者を文字通り一時間足らずの通告で解雇しました。民間セクター労組である「ユナイト」のトニー・ウッドリー事務局長はBMW側に書簡で「あなた方は会社のために働いてきた従業員を全くの侮辱を持って処遇した。全世界の自動車産業の困難な状況はよく知られているが、BMWが生産縮小に対処してカウリー工場で取った措置は恥ずべき行為だとしか言いようがない。…あなた方は犬にさえこのような取り扱いはしないはずだ。会社に忠誠を尽くし献身的に働く従業員にどう対応するのか。」 BMWが罰則を受けることも無く派遣労働者をこのように解雇することができたのは歴代のイギリス政府がヨーロッパ社会憲章の一部の条項を批准することに抵抗してきたからです。
金融街シティの銀行家の処遇と自動車産業派遣労働者の処遇の違いは社会的包摂力という古くからの問題(〝社会問題〟つまり誰が重要で誰がそうでないか、誰が含まれ誰が除外されるかということ)を浮き彫りにしています。今日では給与の格差がはなはだしく不公平であるから、最低賃金だけでなく最高給与も設定すべきだと言う声があります。また経営責任者の給与を見直しするだけでなく、公平・公正および国民の健康という観点からも給与体系全体を再検討すべきであると言う声もあるほどです。リチャード・ウィルキンソンは不平等のもたらす苦しみが法外であるので、もっと公平な制度にすべきであると提唱します。彼の研究調査によると、富の格差が大きければ大きいほど社会は不健全であるといいます。
R. Wilkinson, Unhealthy Societies, London, Routledge, 1996. (リチャード・ウィルキンソン著『不健全な社会』)
巨額の収入や富の格差が社会や健康へ与える影響を考えると、このような不平等は一掃しなければならないことがいっそう明確になります。
新自由主義派はの目標は労働組合運動が獲得した権利や保護制度を弱体化させ、撤廃することです。どのようにそれを実現するのでしょうか。まず第一に、国と雇用主側は〝柔軟な労働市場〟を確立するために労働組合の力を弱め、労働者の権利を制限し、国の福祉制度を縮小してさらに雇用を労働組合の組織化が進んだ業種(イギリスでは一九八〇年代の炭鉱業など)から組織化の進んでいないサービス業へ転換することです。孤立した労働者は短期契約によって仕事に従事することが多くなります。雇用保障が縮小され、健康・年金・医療保険・職業訓練など以前は国や雇用主の責任だったものが労働者一人ひとりの責任になります。また国が企業買収の条件を緩和することでヘッジファンド[投機性の高い投資戦略をおこなうファンド]による資産剥奪が進み、庶民が年金を失うようになります。国民はリスクの多い金融市場で健康保険や個人年金を購入せざるをえなくなりますが、金融業界はその際の手数料でカネを儲けます。このような個人年金が物価スライド制の国家年金制度の恩恵とは比較にならないことを多くの人は承知しています。また国による規制が不充分であるため、〝支払い延期戦術〟による保険金の支払い回避や年金基金や貯蓄を危うくする敵対的買収などを行っても、政府は個人の年金積み立て者を保護することができなくなっています。
新自由主義派の第二の戦術は、資本や企業を世界中どこへでも移動することが可能になったことを受けて、雇用者に有利な条件を求めて最低賃金など〝底辺への競争〟を進めることです。つまり製造業は中国や従順で搾取可能な労働力が存在する世界の搾取工場へと移動します。このような雇用のもたらす報酬や社会的流動性から利益を得る南側の人々がいないわけではありませんが、毎日二ドルで生活しなければならない二十億人の人々にとっては選択肢はほとんどありません。イギリス産業革命初期と同様に、新自由主義派が描く理想は使い捨ての労働者であることは明らかです。ジョン・バーガーは使い捨て労働者を次のように描写します。
新世界秩序は日夜稼動し、生産しない者、消費しない者、銀行預金のない者はクビになる。そのため移民や、土地を持たない者、ホームレスは社会の屑として取り扱われる。すなわち抹消されるのである。
ルドルフ・シュタイナーは第一次世界大戦が終結した際に公正な社会を築くためのキャンペーンを行いました。たびたび公開の大集会で演説し、当時の労働運動には地殻変動的な力が二つ作用していると説いたのです。
一つは、工業労働者が人生の活力となる人間関係や文化を失い、ブルジョワ現代文化からの疎外を感じているということでした。現代文化は空虚なイデオロギーとしてしか経験することができなかったのです。したがって産業や経済を変革する経営・科学・技術というダイナミックな力に自ら目を向けるのではなく、このような力のもたらした物質的富の分け前を労働者は欲したのでした。けれども物質的豊かさを得るだけでは充分ではありませんでした。心や精神を養うことができず、満足できなかったのです。その点で現代科学や技術、生産管理などの力がダイナミックであったのに対してブルジョワ文化が与える力は貧弱なものでした。労働者たちは、空虚で無情な世界の中で人間に生きがいや尊厳を与える創造的な文化生活を心から求めていたのにもかかわらず、現代物質主義は、存在の意義や個人的自由、全人の教育、人間精神を再生する創造的文化を提供することができなかったのです。社会の上層にある自由なブルジョワ文化は空虚であり、ブルジョワ階級に強制される炭鉱や工場の厳しい現状を考えれば芯から偽善的なものだったのです。
当時の労働運動に働いていたもう一つの作用は、現代の経済活動の中で働く人間が、モノ・賃金奴隷・商品として取り扱われることに対して感じた嫌悪感でした。心の底から疎外を体験したのです。資本主義は、抑制しない限り労働も含めて何でも商品として扱う傾向があります。「代わりに、労働自体を経済活動の枠組みからはずし、労働を商品と考えるのではなく他の社会原則によって規定しなければならない。」とシュタイナーは述べました。
ルドルフ・シュタイナー著『社会問題の核心』高橋巌訳,春秋社,2010年
それではどのようにしたら労働を商品ではなく、権利として扱うことができるでしょうか。どうやって被雇用者の尊厳を尊重すればよいのでしょうか。また有給の雇用だけでなくボランティア活動や介護など全ての仕事を含めて社会全体で個々人の仕事を調和するにはどうしたらよいのでしょうか。
まず第一に、労働を商品でなく権利として扱うにはどうすればよいか見てみましょう。社会民主主義制度では労働が権利として尊重されています。従業員は雇用に関する法律、健康や安全に関する法律、労働組合、裁判所などによって様々な権利が与えられ、福祉国家のセーフティーネットによって保護されています。賃金や給与のほかにも私たちは国が提供する保健や社会的恩恵を〝社会的賃金〟として受け取ります。優れた雇用主は優れた労働条件を提供しますが、その理由はそれが倫理的に正しいだけでなく、営業上も有意義だからです。優れた雇用主には労働条件において〝底辺への競争〟を行うことなど思いもよらないでしょう。けれども現在の市場原理主義においてはどんな雇用主も自社の競争力を維持するために気を付けなければなりません。市場には競争や買収などの危険が常に存在するからです。
第二に、雇用労働に従事する人たちの尊厳を尊重するにはどうしたらよいでしょうか。優れた雇用主は自社の職場が人間の尊厳とニーズを尊重する生産的な職場であることを望むものです。古い階層的な指揮統制式の経営構造はフラットな参加型のハイパフォーマンス組織が取って代わりつつあります。新しい組織では相互援助と尊重、学習、現場の裁量、多様性、チャレンジ、有意義な仕事、望ましい将来などの特徴が見つかります。参加型の労働や組織は職場の民主化を促進し、生産性を向上させます。社員のボランティア活動やコミュニティ・プロジェクトへの資金援助を通して様々な形でコミュニティに貢献している企業もあります。
M. Weissbord, Productive Workplaces, San Francisco, Berret Kohler マーヴィン・ワイスボード著『生産的な職場』,および
R. Rehm, People in Charge, Stroud, Hawthorn Press, 2000 R・リーム著『仕事を任されている人々』を参照。
ノーザン・ロック社も相互銀行であったときには多額の寄付を施していました。
第三に、一人ひとりの人間が仕事に価値を見出して、社会に調和するためにはどうすればよいでしょうか。これは非常に大きな問題です。なぜ働くか、労働とは何か、労働に対して公正な報酬を与えるにはどうすれば良いか、という問いを追さらに加えることができます。これらは給与体系の問題というより社会的包摂および公正な富の分配ということにかかわります。ベーシックインカムは富を再分配し、格差の拡大を逆転し、公平さを回復します。そして所得を権利として万人に提供することで労働に尊厳を与えるのです。
この章では市民のベーシックインカムという制度をつかって労働をコモンズ(共有財)・権利として扱い、いかに労働の価値を認めることができるかを検討します。市民の基本的所得を提供することで社会的包摂および富の分配を達成すると同時に、現在の不況の中で公正に人々を援助するための手段ともなるでしょう。
この章の組み立ては次のようなものです。
· 市民のベーシック・インカム
· ベーシックインカムはどのように機能するか
· 論点と問い
· ベーシックインカムを実施に移す